仙人ブログ

ノリで書いてる

人と人

自分が特別好かれるのが苦手だというのをここ数年で理解してきた。
子供の頃から、もやもやとした気持ちがあったのだが、ここにきて理由も含めて言語化出来た気がする。
その人にとって特別視されると、その人の周りの人に申し訳ないという罪悪感が生まれる。
といっても、好かれるのが嫌な訳ではない。
ただその人にとって、平等な存在であってほしいのだ。
たぶんこれは幼少期に身についてしまったもので、そう簡単に取っ払うことも説明することも出来ないであろう。

昔から二人きりというのがあまり好きではないし、友達などを限定的に好きになった事は一度もないし、逆も然りで。だからグループ内の全員と仲良くしたいという感じだった気がする。
まあこれは、割とけっこうな人が当てはまる事だと思う。
たぶんここが決定的な違いで、両親ともに自分の事が好きではないという考えの中で成長してきたからだと思う。

柵がない方が人生楽しく・上手く過ごせるという根本的な考えをもっているにも関わらず、実はここでけっこう大きな柵を抱えていることに気づいてしまった。
といっても、これは一長一短な話な気がしている。
まあ一般的にいったら、俺みたいな柵を持たないほうが庶民的な生活を送れるが。。。

 

話はずれるが、真実がいつも正解や上手く行く道になるとは限らないとひしひしと感じさせられる。正確には、人が一瞬でも後退してしまう様な真実だ。

例えば、家庭を持つとして、その人には色々なライフイベントが待っている。
しかし、それらのリスクを言語化・数値化して真実として付き出したら、間違いなく後退、、嫌、諦めてしまうだろう。
別に結婚とかどうとかの話に限ったことではない。

世の中、完璧に頭の良い人間や完璧的な勇敢な人などいない。
だとしたら、真実というのは毒なのかもしれないと

 

大学生になってたら

高3のときに俺の人生は大きく違う路線にいってしまった
だから今まで真面目にやってきたものが、物理的にも精神的にもつらくなってやめた

だから受験勉強なんて他のやつらと比べて5分の1くらいしかしてなかったんじゃないだろうか。もっとやってないかも

まあだから大学なんて受かるはずなかったけど、社会に生きてるものってのは不思議で周り全員がそれをやってたら、それが正義・正解だってなってしまうもので、俺も脳死で大学受験をした。
現実的に考えれば文系の学部を受験すべきなのに、なんも考えてなかったから理系で受けてたのも懐かしい。

結果は全落ち、まあ当然の結果
受験するにも数十万円必要で、それでもめちゃくちゃ揉めて、メンタルしんでた

今思えば、全部馬鹿だなって
俺が当時頭良ければ、違う生き方も正解なんだと気づけれた
まあそんなの閉鎖環境にいる高校生には無理だよな・・・と。

 

仮に大学にうかってたら、今頃死んでるんじゃないかと思う。
受かってたとしたら理系の学部で、理系は忙しいらしい。
大学以外のときはバイトをして、それでも周りより生活レベルが劣るだろう。
最初は真面目に忙しくもこなしていくが、周りがうぇいうぇいしてたり生活レベルの差を目の当たりにしたら、まじで馬鹿馬鹿しくてメンタル逝ってたろうな。

こうして今いろんな大学生を見てるけど、やっぱり家庭環境が裕福か否かで発言の内容は変わってくる。勿論、裕福な家庭をもつ子は社会を知らない発言ばかり。
身近な人でもそうだが、やっぱりバイトをしなきゃならん子とそうでない子の差はかなりでかないなと。
この話題は、これ以上に深堀するのもめんどうだからこの辺で。

まあなにがいいたいかって、何かに取り組むときに真面目ってのはすごーく大事だけど、そういう人って失敗したときかなり痛手だよなって。
だからブラック企業とか就活で自殺する人がいるんだろうな

悲しい現実だけど、真面目なやつが報われる訳ではない。