仙人ブログ

ノリで書いてる

人と人

自分が特別好かれるのが苦手だというのをここ数年で理解してきた。
子供の頃から、もやもやとした気持ちがあったのだが、ここにきて理由も含めて言語化出来た気がする。
その人にとって特別視されると、その人の周りの人に申し訳ないという罪悪感が生まれる。
といっても、好かれるのが嫌な訳ではない。
ただその人にとって、平等な存在であってほしいのだ。
たぶんこれは幼少期に身についてしまったもので、そう簡単に取っ払うことも説明することも出来ないであろう。

昔から二人きりというのがあまり好きではないし、友達などを限定的に好きになった事は一度もないし、逆も然りで。だからグループ内の全員と仲良くしたいという感じだった気がする。
まあこれは、割とけっこうな人が当てはまる事だと思う。
たぶんここが決定的な違いで、両親ともに自分の事が好きではないという考えの中で成長してきたからだと思う。

柵がない方が人生楽しく・上手く過ごせるという根本的な考えをもっているにも関わらず、実はここでけっこう大きな柵を抱えていることに気づいてしまった。
といっても、これは一長一短な話な気がしている。
まあ一般的にいったら、俺みたいな柵を持たないほうが庶民的な生活を送れるが。。。

 

話はずれるが、真実がいつも正解や上手く行く道になるとは限らないとひしひしと感じさせられる。正確には、人が一瞬でも後退してしまう様な真実だ。

例えば、家庭を持つとして、その人には色々なライフイベントが待っている。
しかし、それらのリスクを言語化・数値化して真実として付き出したら、間違いなく後退、、嫌、諦めてしまうだろう。
別に結婚とかどうとかの話に限ったことではない。

世の中、完璧に頭の良い人間や完璧的な勇敢な人などいない。
だとしたら、真実というのは毒なのかもしれないと